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MS4その2
MS4
開発期間が長くなった理由、開発環境を
一から作る必要が有った事と、企画資料
が一切無かった事が大きな理由。
キャラクターや敵の設定絵資料はあったが
ゲーム性の企画資料やプログラム資料が
全く無く、ROMを解析する作業と新規要素
の追加をする為にはツールが無いと大変。
ましてや、MSあのアニメーションの細かさ
やBOSS、NEWスラッグの組立には更に
開発期間がかかる。
時間を取るか手に入る機材を購入するか・・
そう、開発費が初見の見積と開発途中から
色々判明した費用を、海外の会社が疑った
のだ。
その国は日本人は嘘をつく私達にお金を
出させて本当は必要では無い物を購入する
のではと疑いだした事だ。
ハッキリいって、その時の私の考えはS社
を立てることは考えていたが、疑われて
までこんなシンドイタイトルをやりたいと
は思っていなかったのだ。
出向して、常駐していた海外会社のスタッフ
が私に詰め寄り「自分達の機材を買う為の
お金じゃないんですか?!」言った事で開発を
辞めてやる!と言い放ったのだ。
土日無し、毎日0時過ぎまで開発スタッフは
仕事をしている、開発スタッフを信用出来ない
から見張る為に彼はいたのだ。
最終的には別会社の方が間に入り、S社の
元会長からも再度頼まれて、開発は続行
したのだが…
信頼されない関係で物作りはマジで嫌だ
と思ったタイトルだった。
復活~
8月に入り直ぐに新型コロナに感染・・・陽性判定が出る前日は
喉のイガイガ感と少し鼻水有り、微熱(37.7℃くらい)有り、
軽度だと風邪と変わらないと言われる様な症状だったが陽性
判定の翌日から発熱(39℃台)が3日ほど続いた。
熱が37℃台に戻ると今度は背中が痛い・・・体制を色々と変え
ても痛い・・・
この頃は鎮痛解熱剤で熱を下げるのでは無く痛み止めとして
服用しました。
平熱維持3日継続でやっと療養期間が明けました。
まだ少し喉がスッキリしないのと声が少し鼻声ぽいですが
元気です。
1986
1986年、S社に入った。
その頃はプレハブ2階で開発していた。開発の建物に
前に基盤を組み立てる工場があって、基盤を増産する
時はROM焼きの手伝やROMに足折り1万個を1人で
やったりした。
デザイナーで入社、その頃「TANK」のバグテスト中
だった為デバッカーを1カ月ほどした。
「怒」「怒Ⅱ」「怒号層圏」の背景を担当。ドットを
ポチポチを打ち続ける日々、9時~深夜2時まで仕事の
日々だった。デザイナーだけど声優プロダクションを
探し、英語のナレーション録りを組んだり。
「アテナ」のデモテープ用に仮歌を吹き込んだりと
色々やって来た。その頃にでんちゅう氏がS社に入社
してきたのを覚えてます。在庫基盤を無くすために
企画をするように言われ「パドルマニア」を企画。
8方向レバーを使うのが条件企画。在庫基盤を全て
裁けた事で、デザイナーから企画になる。
その頃にNEO・GEOの試作は始まった。
GF(未開発企画)
今日はGF(ガールズファイト)の話し。
KOFの3Dを開発した事で、社内的に3Dゲームスキルを
上げようとオリジナル企画として「GF」を考えてみた。
キャラクターはガールだけ女子プロの世界観かな・・・
この時、大山凛の元デザインが生まれた事は先のブログに
イラストをのせてますが、その他にも数体ラフデザインと
3Dモデルまで作成したキャラクターが存在する。
今回紹介するのは中華ガールのラフ案。
何と言ってもスリットが大事(蹴り動作ができないからね)
透ける素材表現がムズイと3Dモデル化までは進まなかった。
2002 MS4
2002年NEO-GEO用「METAL SLUG4」。
開発中にとある事が有り、一度開発から手を引く話まで
になった。S社が色々あった後、そのゲーム資産を守る為
にもと頼まれて開発を引受けたのだが、海外の会社が
開発費を出す事になりその会社から出向して来たスタッフ
の態度と考え方を受け入れる事が困難と判断し、
「開発を辞めます」と伝えた。
リリース後にはMETAL SLUGシリーズのFanからも色々
言われたものです。(結構きつかったですよ・・・)
でもね、開発機材やマスターROMがまるでゴミの用に放置
されているのを見て、開発に1年~1年半かけ神経をすり
減らしながら開発メンバーが頑張って来た資産を放っては
置けなかったのです。
1998
ドリームキャストの時代。
地域防衛「守」を考えた、今でいうならポケモンGO!
タイプに近いかな・・・
ユーザー参加型のゲームを作ってみたかったというのが
切っ掛け、スマホがまだ出ていない頃、携帯電話とPCと
ゲーム機を連携させ、何時でもどこでもゲームを進める
というイメージ。
やっぱりおばあちゃんは重要キャラだった( ´艸`)
ゲームデバック期間の話し①~ナイスタイミング~
【開発室深夜 あの曲が突然流れた時】
ゲーム開発は納期ギリギリまで開発メンバーはあがきます😆
開発最終段階になると深夜まで作業をしてる訳ですが
ラジオ(FM)を聴きながら作業してたりします。
「グルーヴ・オン・ファイト」を開発していた頃の話。
am2:00頃、別室でデバック作業担当のデザイナーが
「チーフ(私の事)大変です!」と部屋に飛び込んで来た。
とドンピシャのタイミングであの曲がラジオから!
「チャラリ〜チャラララララ⤵︎ジャーン!」
(嘉門達夫の「鼻から牛乳」の有名な部分、元は
バッハ「トッカータとフーガ ニ短調」のあれです)
が流れ、その場に居た全員が固まった!!!
イスからズリ落ちる人、コーヒーを噴き出す人、笑い転げる人
多数、コントかよ!って状態。私が飛び込んで来たデザイナー
の報告を聞くのに10分はかかってしまった。
報告内容はROMデータが古いデータなってるという結構
な不具合の報告でしたから、ROMを再度更新デバックの
やり直しチェック終了は朝方までかかったのでした。
2001
「戦国伝承2001」がリリースされた年。
「戦国伝承」「戦国伝承2」(C)SNKは私が企画担当に
なって2、3本目のゲーム。
「戦国伝承2001」は数年振りのNEO・GEO用でした。
戦国のと特徴としてお助けキャラクターが居るのですが、その
元ネタはウルトラセブンのカプセル怪獣です。
「戦国伝承」の事前ロケテストの時、小学生が2人で
100円を数枚ゲームモニター上に積上げて、一人が死にそう
になると「お助けいたす!」と言いながらお助けキャラを
使っていました。(直死でしたが・・・)
戦国伝承の敵キャラの死に方をヒントに「侍スピリッツ」の
企画がスタートしたのを思い出した。
(C)SNK
1998~1999
タイトルの1998~1999は旧ノイズファクトリー社の設立年から1年間の事。
その頃は有限会社として設立し、約7名でスタートしました。
1999年に「ガイアクルセイダー」をリリース。
このゲームはスポンサーが香港の会社だった為、日本国内をあまり意識
しないゲーム調整になってしまいました。
アジア圏はバッタバッタと敵を倒して進むことを好むため最終調整後
完成マスターROMは鬼仕様になりました。
キャラクターのアニメ枚数も削る事になり、滑らかなアクションには
なりませんでした・・・
1999年はNEO・GEOポケット用「ビーストバスター~闇の生態兵器~」を開発。
B級映画を参考に世界観を作っりました。敵キャラのウルフマンがお気に
入りのキャラでした。
陰陽師~
「レッツゴー!陰陽師」の元は陳念の「坊主でダダダ」の発展
した楽曲。
豪血寺シリーズのBGMに歌を入れる事になった理由・・・
企画者ちゅうこ氏がブチ切れたからです。「豪血寺一族」を
リリース後、続編を作ろうと着手した時営業から「婆さん
キャラで売れるんですか~?」言われた事で、ちゅうこ氏の
怒りゲージがMAXに!開発室に戻ったちゅうこ氏、サウンド
担当のでんちゅう氏にやりたい事をやりまょうという事になり
各キャラクターBGMに歌が入りました。予算が無かったので
歌い手は、開発メンバーにも協力してもらいました。
因みに、キャラクターの声も開発メンバーが当ててます。
あの頃は、予算も時間も無い中でゲーム作ってましたね・・・